総督は手紙を読んでから、パウロに、どの州の者かと尋ね、キリキヤの出だと知って、
パウロは答えた、「わたしはタルソ生れのユダヤ人で、キリキヤのれっきとした都市の市民です。お願いですが、民衆に話をさせて下さい」。
さて、フェストは、任地に着いてから三日の後、カイザリヤからエルサレムに上ったところ、
そしてパウロは、シリヤ、キリキヤの地方をとおって、諸教会を力づけた。
すると、いわゆる「リベルテン」の会堂に属する人々、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤからきた人々などが立って、ステパノと議論したが、
ピラトはこれを聞いて、この人はガリラヤ人かと尋ね、
ダリヨスは全国を治めるために、その国に百二十人の総督を立てることをよしとし、
王はまたダニエルの願いによって、シャデラクとメシャクとアベデネゴを任命して、バビロン州の事務をつかさどらせた。ただしダニエルは王の宮にとどまっていた。
その時王の書記官が召し集められた。それは三月すなわちシワンの月の二十三日であった。そしてインドからエチオピヤまでの百二十七州にいる総督、諸州の知事および大臣たちに、モルデカイがユダヤ人について命じたとおりに書き送った。すなわち各州にはその文字を用い、各民族にはその言語を用いて書き送り、ユダヤ人に送るものにはその文字と言語とを用いた。
アハシュエロスすなわちインドからエチオピヤまで百二十七州を治めたアハシュエロスの世、